ベンジャミン先生の紹介  学生が取材しました


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ハーバードVS東大 日米の最高学府って、何が違う? (抜粋)

カルチャーショック ハーバードVS東大 より

ベンジャミン トバクマン [著]

はじめに

あなたは日本の大学教育に対して、疑問を感じたことがありますか。あるいは、「東大はナンバーワンとみんな言うけれど、国際社会ではどうだろうか」と自問したことがありますか。

そんなあなたのために、本書を日本語で執筆しました。アメリカのナンバーワン大学・ハーバードと東大の教育の在り方を体験的に比較してみました。それは私にとって、入学制度を始め、大きなカルチャーショックでした。そこで私は、日米の最高学府はどう違うのか、どちらの方がこれからの国際社会で優れているのか、それはなぜなのか、こういった問題を解いてみることにしました。

少子化が進み、日本の大学における競争が激化している中、どんな大学が、日本の将来のリーダーを育て、生き残れるのでしょうか?

本文にも紹介していますが、私は一六歳の時から日本語を学習しています。ホームステイや研究で何度も日本を訪れたことがあり、多くの日本の方々にお世話になりました。このたび、奨学生として来日し、一年半の学生生活で感じたことを皆さんと分かち合いしたいと思いました。粗雑な日本語で大変恐縮ですが、私の気持ちが伝われば幸いです。

二〇〇八年五月一四日

平等主義の大学・ハーバード

深夜のヌード・マラソン

ハーバードの活気は、表現の自由に基づいている。その事実は、期末試験に入る前夜に、浮き彫りになる。ストレスを発散したい学生が服を脱いで、芝生のハーバード・ヤードを全裸で一回り走る。終わると、慌てて服を着て、勉強に戻る。少ない場合は約二〇〇人、多い場合は四〇〇人位の人が参加する。ほとんどの観客は彼らの同級生で、参加者の人数より三、四倍ぐらい多く、「トラック」(ハーバード・ヤードをトラックとして使用)の傍にぎっしりと並んでいる。拍手したり、声を張って応援する者もいれば、カメラのレンズに収めようとする者もいる。ランナーは写真に撮られたくないので、なるべく速く走る。それでも、撮影されてすべてを見られるリスクはある。

このイベントはプライマル・スクリーム(原始的叫び)と言い、天気を問わず行われる。ハーバードの春学期は五月から始まるので暖かいけれど、秋学期が一月に終わるので、摂氏マイナス一八度ぐらいの気温の中で走っているわけだ。走り出したらわずか三、四分で、身体がすぐに温まるとランナーは言っている。イベントの前後に、応援団が参加者にホット・ココアを注いであげて、彼らの凍死を防ごうとする。

初めてプライマル・スクリームを見に行った時に、色々な意味で驚かされた。まず、前述したように、数百人の学生が同時に全裸になって、キャンパスの真ん中を走っていた。第二に、人数の多さといい、走っているスピードといい、目の前を通っているランナーが男性なのか、女性なのかすら分からなかった。最後に、真夜中にもかかわらず、街灯の下では、撮影するのに十分に明るかった。こうした状況を気にせず、裸で走る学生は本当に勇ましいか、アホかどちらかだったに違いない。

ある年、冬のプライマル・スクリームで怪我人が一人出た。私と同じ寮に住んでいる一回生で、片足に霜焼けができてしまっていた。重傷ではなかったものの、二、三週間後に回復するまでは、松葉杖を使って歩いていた。数百人の中で、彼だけが霜焼けになったということは、プライマル・スクリームではなくて、本人のやり方に問題があったということだ。身体が冷えたのは、走り終わって服をすぐに見つけられなかったからだろう。

翌年度のプライマル・スクリームで、より大きな問題が起きた。いつも通り、気温が氷点よりはるかに下がっており、イベントが始まる数時間前に、悪戯っ子が水をコースの一部に撒き散らしてしまっていた。そこはランナーが走るカーブだった。水が凍り、裸足でしかも全力で走っている学生がそこを通ったらどうなるのか想像して頂きたい。当然ながら、邪魔のないコースを気持ちよく、勢いよく走っている学生は、突然氷を踏むと、スピードを落とす暇もなく、あちらこちらへ滑ってしまった。その後続の人も二の舞を演じ、夜中のマラソンはあっという間にドミノ倒しと化した。不幸中の幸いだったのは、最後のランナーだけが前の人の様子や叫び声に気が付いて、無事だったということだけだ。

このような事件があるのなら、プライマル・スクリームを禁止すべきだ」という意見があるだろう。ところが、学生に表現の自由を与えすぎる方がろくに与えないよりはるかに良いと思われる。

次の例も考えてみることにしよう。性的な虐待を受けたハーバード大生が年に一度集い、ダーティー・ランドリー・プロジェクト(汚い洗濯物のプロジェクト)に参加している。これらの学生はハーバードに入ってからレイプされたとは限らないが、性的な虐待による痛みを何らかの形で表現したい、公にしたいという気持ちが共通している。そこで、辛い思い出を古い服の上に書き、キャンパスの中心に高さ二メートルの竿をたくさん立て、竿と竿の間に紐をぶら下げ、自分の「ダーティー・ランドリー」を干してみせるのだ。服の数は五〇~一〇〇までなので、参加者の人数もそのぐらいだろう。

「これはおかしい話だ。こうしたって意味はないでしょう」という意見がある。しかし、対策として、これほど役立つものはないかもしれない。レイプされた人は、もし警察に通報した場合は、レイプの詳細までいろいろと聞かれることになり、最も思い出したくないことを赤の他人に話さなければならなくなってしまう。被害者がそれは避けようと思うのは、当然のことと言えよう。恥ずかしいから家族や友達にも言いたくないという場合は、結局、レイプに伴う肉体的かつ精神的な痛みを自分の力でしか処理できない。その重荷をたった一人で抱えることは非常に辛いだろう。しかも告発しなかったとすると、加害者は何の罰も受けないで済み、別の人に同じ酷いことをしかねない。こうした状況の下で、被害者は絶望を抱くに違いない。そこで、ダーティー・ランドリー・プロジェクトがある。被害者はレイプの危険性について警告することで、コントロールを取り戻し、回復することができる。

サイエンス・ビルにも展示がある。内容はダーティー・ランドリーに載っている言葉より大きく書いてあり、いずれにしても、読んだ人をぞっとさせる程物々しい。サイエンス・ビルはハーバード・キャンパスで人の出入りが最も多い建物なので、その中で文章を公開することは、レイプの危険性を啓発させるのに大いに役立っているのだ。

こうした活動は、参加者にとっては治療の一種であり、読んだ人にとっては警告である。プライマル・スクリームはダーティー・ランドリーと違って、啓発の役割はないけれど、その程度のことを許さないと、キャンパスはより危険になるかもしれない。

ハーバード大生がダーティー・ランドリー・プロジェクトをしないとしたら、レイプの危険性は伝わらないかもしれない。もしプライマル・スクリームで走れないとしたら、ストレスの発散で危ない方法を用いてしまうかもしれない。ハーバードは学生の表現の自由を尊重することで、キャンパスの安全性を高めている。それと同時に、学生が情熱を込めて活躍するように促している。

学生は授業の中でも表現力を生かしている。ハーバードを含めて、アメリカのほとんどの大学では、学生がディスカッションに積極的に参加しないと、成績は下がる。また、奨学金を獲得することや、極端な場合は就職することさえ、困難になってしまう。このため、基本的に授業で話したがらない人も、頑張って発言している。

非常に狭い意味では、学生が授業中にしたコメントは、発言者の口から出てきて聞き手の耳に入っていくと、痕跡なしに消失する。しかし、それによる利益は軽視すべきではない。一つの簡明なコメントだけで、たくさんの間違った意見を変えられるかもしれない。すぐ変わらないとしても、そこで変わり始めるかもしれない。

より広い意味で考えると、学生が議論するかどうかは、後々、社会の繁栄に影響を与える。つまり、議論の内容は何にせよ、学生はアイディアの交換に慣れているほど、将来、協力して社会の問題を解決してくれる。学生時代から議論してきた人は、初対面の人とでも同じテーブルに座って、上手に交渉できるからだ。

もちろん、議論で出たすべてのコメントが勉強になるとは限らない。しかし、根拠のない、論理に乏しいアイディアが筋の通ったアイディアに食いつぶされることでしか、人間文明は進化しない。

議論する習慣を培うのに、大学は最適な場所である。なぜならば、違う育ちの学生が同じ教室に集まるからだ。もう一つの理由は、知識を分かち合う習慣が若いうちにできると、一生、分かち合い続けるからだ。逆に、学生が知的な議論に慣れないまま卒業してしまうと、就職先で同じチャンスが待っているとは限らない。

ハーバードの学生は一回生の時から、先輩と同じ授業を受けることがある。私は入学した時には、議論が苦手だったので、先輩にはもちろん勝ち目はなかった。自分の発言を論理的に証明しなければ、他の学生から激しく反論され、頬っぺたを赤らめることでしか返答できなかった。これは恥ずかしかったし、悪い成績につながりそうだった。しかし、議論の練習を重ね、自分が四回生になった時は、後輩の発言をより強い論理でひっくり返せるようになっていた。私が反論した一人の後輩は、返す言葉を見つけず、真っ赤になった。そこで、私は三年前の自分を思い出し、自分の知的な成長に気づかされた。参加と成績がつながっていないとしたら、このように成熟していなかったかもしれない。

「ハーバードは志願者の表現力をどのように測っているのだろうか?なぜそんなに重視しているのか」と思われるかもしれない。文字通り、表現力を入学の尺度として使っているわけではない。ただし、志願者はパーソナル・エッセー(自分の人生や目的をテーマとしたエッセー)を要求されるし、面接を通らなければならない。このため、表現力の乏しい生徒は絶対に受からない。ハーバードは表現力そのものを重視しているのではなく、むしろ表現力に反映される自立心や議論する力を重視しているのだ。人は自立心がなければ、リーダーになることはできない。そして、議論できなければ、新発想を生むことで、社会を活性化させることもできない。

目次

「学長室を占拠せよ」

刑務所で行われる授業

入試で万点を取っても、落とされる

ハーバードにしか受からないホームレス

入試ほど重要なのは、ベリーダンス?

政治犯を歓迎するハーバード

休講を歓迎する東大

女性が二割、Shall We 東大?

等々

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ノーベル賞受賞者 東大:1人 ハーバード:?

東大アメリカの大学に比べて、ノーベル賞受賞者をほとんど輩出していない

ノーベル賞受賞者(大学別)を見るためにはここをクリックしてください

その理由だろうか?

東大は素晴らしい人材を持っている。だとすれば、ノーベル賞をあまり取れないのは、研究設備が整っていないからだろうか?それとも、教育の仕方に問題があるからだろうか?

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東大が滑り止め

本当に、頑張りました。頑張って、がんばって、またガンバッテ、そしてさらに張り、

とうとう受験地獄から抜け出し、日本でプレステージの最も高い大学に合格できたとしましょう。

そこでは、いったい何が待っているのでしょうか?

爆発

爆発

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